さびしい

 mixiで知り合った優しい男の子と、やりとりを始めて何ヶ月くらい経つのだろう。1ヶ月くらいかな。昨夜信じる信じない電話したい電話したくないからちょっとしたいさかいになって、今、ものすごくさびしい。
 私は会ったことも話したこともない彼の存在に、このひとつきぐらいずっと励まされてきた。この半年の学校生活はまさに地獄で、ずっとひとりぼっちお昼ご飯もひとり誰も悩みを相談できる相手もおらず教室でも浮いてて。私なんかいてもいなくても一緒だし、消えてしまったほうがいいと思ってる人だっているし、早くいなくならなけりゃ、とばかり思っていた。
 そんな私の、彼は素敵な話し相手になってくれた。でも私にとって彼はしょせん言葉だけの存在で、mixiで言葉だけの知り合いに騙された経験のある私は、彼を生身の人間とは思わないように接してきた。私の想像の中の彼が壊れないように、ずっとそう思って深い話もしたり笑い話をしたりエロい話をしたり、お互いの書いた小説を送りあってきた。私にとって彼は、天国にいるロボットみたいな存在だった。
 けれど3月末に彼は京都に旅行にくることになり、それまでに一度電話で話そうということになって、私は内心焦った。彼の声なんか聞きたくないから。でも彼はものすごく私と話したがった。だから私も承諾した。けど私は電話をとることができなかった。

 いつでもひとつの原因がきっかけで起こる出来事なんて、この世には存在しない。私が彼からの電話をとれなかった理由はたくさんあるのだけど、結果としてその拒絶の仕方が彼を傷つけてしまった。

 分かってるよ。きみのいうとおり、こんなことを繰り返していては私はいつまでたっても幸せになんてなれない。私は私のそばを離れられないんだから。でも私は私のことが許せないの。心のどこかでずっとずっと、小さい時から、私は私を痛めつけるだけに存在しているのかもしれない。何て身勝手で自己中心的な人間だろう。

 それにきづかせてくれたきみからのメッセージを読んで、さらにさびしくなるのです。

 人生は愛と悲劇だ、と臨終のワーグナーが書き記し、私はこの世で哀しみこそがもっとも美しい感情だと理解する。このことは、とても愚か。