私にしかつくれないもの

 今日は1回生のころから入っている映画サークルの、存亡を話し合う会議に出席してきた。

 すっごく仲の良い子がいるわけでもないので、アウェーな雰囲気のなか、あまり発言もせずにみんなの会話をじっと聞く。私はこういう会議の場で、自分の意見をまとめることがすごく苦手だ。なんていうか、言いたいことはたくさんあるのに、それが巧くまとまらなくて、自分でも何が何だかよく分からなくなって、みんなに分かるように話さなきゃと思うとよけいに頭がこんがらがって、ちなみにそんな頭が巧い言葉を見つけるのはだいたい9時間後くらいです。(遅)


 同回生の会長が、以前つくった私の短編映画が学生映画っぽくて好きだったと言ってくれて、私の新作を楽しみにしてくれていて、ちょうど映画を撮りたいと思っていた時期だったので嬉しくなったり。彼はものすごく映画をよく観ていて、一番好きな映画が『アンダルシア/の/犬』っていう変わり者なので、その彼に作品を誉めてもらえるのは嬉しい限り。本当に。意見はできないけれど、映画は作れます。私の取り得はそこなので、他は勘弁してください。


 私は、私のような作品を書いたり撮ったりする人間を今までみたことないし、自分は自分にしかつくれないものをつくっているという、そこだけは自負している。私の問題はやっぱり、そういう自分への自負に負けてしまうことだろうか。


 16歳のころから、何度もODをしてきた、私の内臓はやっぱり、どんどんダメになってきているような気がする。

 胃も信じられないくらいに、弱くなってしまった。心臓も、背骨が曲がっているせいか痛む回数が多くなってきている。

 なのに、やめられないのは、どうしてだろう。

 やっぱり、何かに依存しないと、人間は生きていけないから?

 それとも私が、不安定と不完全の究極なものに、美しさを見出すから?

 なんで・なんで?

 でも、実は、全部知っている。

 私は全部、分かってやっているの。

 長い長い理由がある。私はこの理由をちゃんと自分のなかでまとめるまで、あと残りの人生を使い尽くすだろう。