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孤独

soi

 
 思えば30年、ずっと孤独を感じて生きてきました。物心ついた時から私の自我は強く果てしなく、自分以外の人間にも意志があるのだということを思春期が終わるまで信じられませんでした。自分が世界の絶対主でした。
 そして孤独でした。孤独はいつでも美しいです。深い井戸を覗き込んだ時に、遥か奥の地底に見えるきらめく水の輝きに似ています。もしくは深海魚がほとんど機能していない目で見上げる、上空の陽の光です。きらめく一握りの希望、そして圧倒的な闇、それが孤独で、いつでも芸術の大きなテーマになります。いつの時代も。
 私はそこまで不自由ない家庭で育ちました。完璧ではなかったし、普通ではなかったけど、愛はあったし今でも完全なる破局を迎えていないだけ、人並みではないけれど幸せなのだと思います(しかし普通の家庭ではなかったと思います)。私の母は、子に何も求めない、母親としては完璧な人間でした。ひとりの女性として、人間としては子どもっぽい人だと思いますが、自分の子どもを絶対的に信じて決して子どもの人生に干渉しない、親子といえど自立した人間同士なのだという考えのもとの教育は、素晴らしいものだったと年を重ねるごとに思います。(母は団塊の世代ですが、考え方はとても革新的です)そのせいで兄も私も回り道だらけ、自分のやりたいことを思いっきりやる何の悔いもない人生を歩んでいます。親にとっては手のかかる兄妹でした。でも母はいつも私たち2人のことを誇りに思っています。
 でも私はいつも感じていました。親に愛されていることは、人間の孤独とは関係のないことなのではないか、と。本当の意味ではそうではないと分かっています。親に愛されない人間も存在します。私が親や兄に愛を注いでもらっても孤独を感じることを、不遜だと思う人はいるでしょう。でも親は私を産んだ人間なのです。私が私の力でもって得た、愛ではないのだと思っていました。
 今までどんな人と恋愛をしても、友人と語り合っても孤独は孤独でした。もちろん私は彼らのことを愛していました。友人のことは大切に思っているし、かけがえのない存在です。しかしそのことも、私の孤独とは関係ないことでした。私の心の機微まで全て理解して私の人生を引き受け、それを自らの喜びとしてくれる人ができて、結婚したらいつか私は孤独ではなくなるのだろうか…? そんな日がいったいくるのだろうか? とずっと考えていました。
 今の恋人と付き合い出して、すぐ結婚の話が出て、私がフランスに行って、それでも毎日連絡はして。ふと私は自分が孤独を感じていないことに気づきました。いつも隣にいた孤独。今、孤独を探してみても見当たりませんでした。彼を大事にしないといけないな、と最近強く感じ出して、昨夜気づきました。とても穏やかな気持ちでした。驚きました。
 でもこれからきっと色々なことが彼との間に勃発するにつれ、孤独はまたその正体を現したり消したりと忙しいのだろうな。しかし今の状態は孤独を感じなくなっただけのことで、人間というのはいつも孤独なのだということを、私は知っています。
 だからこそ、孤独を感じない今の生活は(一人暮らしですが)また井戸や深海とは違う美しさがあるのだなぁと思うのです。