私の時間をかえして、って、そんなことを思ったことは一度もない。
 みどりの人と付き合っていたのは、大学に入ってから2年間だった。そのあいだに普通の彼氏もできた。(すぐ別れたけど)みどりの人と付き合っていなかったら、付き合えていただろうなって人の存在もないし、私は2年間を無為にすごしたとは全然思っていない。だから返してもらうものなんて存在しない。
 けれど、みどりの人と出会う前の私は、なんだかんだで家族を作ろうという気持ちをもっていた。好きな人ができて結婚したら、当然のように子どもを産んであったかい家庭を作るもんだと。
 でも今、その幻想(じゃないな、夢想かな)はぶち壊され、今の私には家族を作りたいという意思はゼロ。子どもも前にも増して嫌いになったし、みどりの人とはもう会わなくなったのに街で子どもづれの家族を見たりすると、心のなかの石垣ががらがらと音をたててくずれていくのが聴こえるくらい、足が震えて立てなくなって馬みたく死んでしまってもいいくらい、もうなにもかも未来も切り捨てて川のなかに飛び込みたくなるくらい、憎い。憎い。
 みどりの人に会いたいという気持ちが消えても、まだこの憎しみは消えない。不特定多数の温かい愛情に対する憎しみ。私も過去両親や兄や親戚からうけてきたであろう慈しみ。そんなものが、全部、ぜんぶ消え去ってしまえばいいのに! と強く思うのだ。どうしようもなく理性なんて働かない。
 今日、バイトからの帰り道に自転車をこいでいたら、みどりの人の奥さんと子どもに遭遇した。私の家とみどりの人の家は数100mしか離れていない。自転車ですれちがって、見知った顔だとはっとした。こっそりあとをつけると、みどりの人のアパートの前で自転車をとめた。子どもはもう4歳くらい。子どもに話しかける奥さんの声。
 今の私はもはやみどりの人のことが好きな女ではない。あの2年間は美しかったし、恋だった。けれどその相手には妻子がいて、ちゃんとアパートの一室のなかで息をして、ご飯を食べて、寝て、毎日をみどりの人とともに暮らしていた。私はそれに比べれば、ただの寄生虫だった。どうしようもできなかった。別れることも怖くて、別れないことも怖くて、そうか、その意味でやっぱり、遊びだったのか。彼は親戚や子どもを捨ててまで私と一緒になるつもりもなかったし、それは私も一緒で。でもそれでも、哀しかったし苦しかったし死にたかった。
 だから今でもこういう不倫を続けている男がどこかにいたら、なんだか哀しい。いやそりゃいるだろうけど。でもやりようがあるだろうと。もっと男女間の遊びをよく知っている大人な女と付き合うのならまだいいけど。割り切れない女の子をひっつかまえて、家庭も壊したくなくて、若い頃の恋愛をもう一度再現してみたくて、欲望が先走る。人間って、哀しい。
 私にはきみがいればそれでいい。私はもうたくさん求めないの。